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シゲ通信・2012夏 今夏のシゲは ますます逞しい

高橋哲司(S47年卒)
 
夏、8月。この時期になると 早稲田RUGBYの菅平とシゲの沼田が気になります。しかし今年の夏は、ロンドンオリンピックと猛暑で自分の体が、心が自由にならなかった。例年7月に入ると同期の皆にシゲ情報と沼田・水芭蕉への集合日を問いかける。
 
8月初旬になり突然、辰之先輩からTELが入った。「シゲのお母様が亡くなられた。7月19日」 急死だったそうです。我々全く知らず、驚き、あわてました。 お母さんは、ずうっとシゲを支え、面倒をみてくれた。朝夕は、田圃へ、畑へ電動三輪車を縦横に走らせとてもお元気にされていた。今年もお母さんに電話をし、トウモロコシを思いっきり食べさせてもらおうと思っていた矢先の凶報でした。恐る恐るシゲに電話をしました。シゲは、この夏の暑さにも負けないはじけた元気な声で返してきました。珍しく沈んだ声で話す私を励ますような明るさでした。  
何だコイツは・・・と思うくらいでした。
それにつられて私も普段を取り戻し、同期の集合日に会うことを約束しました。
 
シゲのいる群馬県沼田市利根町は、大阪から車で8時間ちょっと。8月16日 快晴。 中央道・関越道の混雑もなく快適なドライブでした。途中沼田インターから最初に通過した「峠のドライブイン」は、トンネルができるためか、社長が亡くなり経営が成り立たなくなったのか、不景気風が押し寄せているためか閉鎖されていた。しかし、道々に咲く花は、ムクゲ・百日紅・金魚草等々・・・ 群馬ロマンチック街道は華やかでした。
 
 利根町平川 シゲの家です。4時到着。 
先に来ていた粟野が、ベッドの横にあるシゲのパソコンに挑戦していました。
シゲのため、デスクトップに「早稲田大学ラグビー部のショートカットアイコン」を作成していたのですが、普段と入力方式が違い、苦戦していたのです。
 
さてそのパソコンには、我々2人が着くより先に「今回同期会に来られない我らがキャップの益田」からメールのメッセージが届いていました。
 
「小林重雄様
残暑お見舞い申し上げます。
8月残暑とはいえ利根村は朝夕涼しくなっているのでしょうね。 
8月17日(金)宮沢OB会長や同期メンバーの集合日が、あいにく会社の夏休み明けの日で、参加出来なく申し訳ない。
シゲが高橋哲司君にあてたメールも聞きました。
松本のオバチャンには会えましたか?私達も卒業して40年になりました。
40年前から松本さんにはオバチャンと言っていましたが、当時おいくつだったのでしょうかね? 聞いておいてください。
私達の代が言い出した訳ではありませんが、失礼な呼び方で何か他の呼び方はなかったのでしょうかね。 
(注:シゲも会うのを楽しみにしていた松本さん、体調を崩し不参加でした)
 
さて、ロンドンオリンピックも閉会しました。楽しく観戦しましたか?
オリンピックを見て私が思った事2つ。
1つは、男女水泳陣の頑張り。彼等の体格を見ると日本人の弱いとされている上腕二等筋の見事に発達した、外国人選手に全く見劣りしない立派な体格に驚き、頼もしく思いました。トレーニングによって、ここまで体格、体力が作られるのだと思い、ラグビーもあと何年かかるか判らないが、外国人選手との体格差が少しずつ近づいてくれると良いなと若干の希望ももちました。
 
2つ目は、サッカー等でいつも言われるファールの少なさ、フェアプレイ等、日本人選手のスピリット、正に武士道の精神を改めて感じました。
韓国選手の様に、試合終了後喜びと共に観客の持っていたとはいえ、「独島(竹島)は我々のものだ」といった政治的なプラカードを揚げて走る精神構造。
日本人にはきっと理解できない見境の無さ。敗者への尊敬の欠落。日本人の精神構造 武士道の精神 を思い出し、古い本ですが(1899年)新渡戸稲造著 要約版「武士道」三笠書房を引っ張り出し、改めて読みました。やはり「勇」「義」「智」「仁」「名誉」等を重んじる日本人の武士道の精神とは異なるなと思いました。
おもしろい本ですので、新しいのを入手して別途送ります。
現代語に訳されていて、1~2時間で読めます。一度読んで下さい。
またシゲの感想も聞かせて下さい。
我々の代も卒後40年 みんな62~3歳 年をとりました。
くれぐれも体調ご留意ください。またみんなで会える日を楽しみにしています。
                            8月14日 益田清」
 
 益田、ありがとう。
送ってくれた「新渡戸稲造の 武士道」の本は無事シゲのもとへ届いたよ。 
益田キャップは、最近話もうまくなったが文才も隠されていたねと我々3人 感嘆!
来年は必ず来てくれるよ、楽しみな話題でした。
武士道に関しては、読後のシゲの感想文に期待しましょう。
 
8月17日昼過ぎ、島田部長、宮沢OB会長、伊藤技術競技部会長、そして安藤監事の4名が、「水芭蕉」に到着。
シゲ、同期組の5人、都留崎・安東・口元・粟野・高橋がそこに合流。そして少し遅れて鈴木辰之先輩と友人の早稲田グリークラブOBの内山先輩の二人。
シゲを囲んでの合同昼食会。宮沢OB会長からシゲへの「見舞金」の贈呈がありました。 「水芭蕉」のイワナの刺身や夏野菜など普段はなかなか口にできないような料理に舌鼓を打ちながら、オリンピックの話題、RUGBYの思い出話、あの事件?の暴露話、裏話等々。特に伊藤部会長の静かでしっかりとした話しぶりは、「今年の早稲田はやるぞ」の感じがひしひしと感じられ、素晴らしいことでした。 このメンバーが集まると時代・ジャンルは、種々雑多。話題に事欠きません。ましてや人を酔わせる「水芭蕉」名物イワナ酒の魔術、呑むともう止まりません・・・
 
 そんな中、宮沢OB会長から提案がありました。
「来年の早稲田RUGBY菅平合宿に シゲ来ないか」 シゲ、うなずく。
シゲが菅平に登ったのは、ちょうど今から20年前。 
晴天下、現役そして激励に来られたOBの皆様の組んだ円陣の真ん中でシゲが力強く激励の言葉を発していた姿が、鮮明に思い出されます。
素敵な提案です。是非実現させたいと思います。 宮沢会長ありがとうございます。
 
今回初登場の内山先輩は、辰之先輩と親交深く、RUGBYの大ファンで早稲田グリークラブのOB。この歳で(大変失礼)仲間と日本各地へ公演の旅をされているとのこと。そして今回は、来春にでもこの利根町で公演を通じてシゲや地元の人たちを元気・活気付けられたらとの企画をもって訪問されました。シゲの妹様(水芭蕉の女将)のかづ江様も普段活動されている地元「利根村合唱グループ」で参加されることも話され、この企画がトントン拍子で進みました。明るいニュースです。
 
夕方 島田部長、宮沢OB会長一行が菅平に向かって出発。毎年のことながら運転手をしてくれている安藤監事に「下戸なの」とたずねたら、呑むという。いつか水芭蕉で イワナ酒を一緒に呑みたいと切に思います。(いつも御苦労さま)
 
そして同期会はその後も続く。
とことん付き合ってくれるシゲ。 君の体は どうなってしまったのか。時計のような生活リズムは 大きく変えていないようだが、過敏すぎる室温に対しても 今は自然・気温の変化を楽しんでいるようだし。かづ江さんが、この夏シゲの部屋のエアコンを使ったのはきのうが初めてとか。体調に自信がなかった時は、0.5度の室温の変化にも敏感に反応していたよね。食べ物も好き嫌いなく、ビールも呑む。時には今回のように羽目を外す?シゲは言う。「車いすに座ることが運動であり、体を鍛えていることになる」そして体を鍛えることにより精神的にもより強く鍛えられてきたのだろうか。お母さんの突然の事に関しても自分に置き換えたら、あんな平然とはしておれなかった。
シゲの一日は朝7:00起床。消灯は21:30。9時までに新聞を読んでしまい、午前中、9時くらいから小説に取り組む(パソコンに向かう)。午後は情報収集・読書 等をするのだそうです。
翌日午後シゲの部屋をのぞいたらベッドで座って、国語辞書を手で繰って調べ物をしていた。 シゲはまだまだ話下手、聞き上手なんだと思う。しかし本人は、我々にもっともっと話をしたいんだと思う。周りに話したい、考えていることをいかに表現しようかと日夜、苦心しているのだと私は思う。そしてシゲは今、取り組んでいる小説で表現しようとしているんだと確信しています。シゲは体を鍛え、情報を集め、全力で小説に取り組んでいる。そんな風に感じ、さわやかな気持ちで帰途につきました。また シゲにエネルギーやパワーを注入してもらい、帰ってきました。
楽しい3泊4日の沼田の旅でした。
 
「来年は、シゲと一緒に菅平まで行きましょう!」

(写真敬称略)


 奥列 口元、安東
 中列  シゲ、高橋、安藤、島田
(背中)  津留崎、宮沢、伊藤

宮沢、津留崎、シゲ、高橋、
        安藤(手前背中)

 


高橋の差し出したビールを飲むシゲ

   シゲ 鈴木辰之 
      内山・早大グリーOB
 

  後列   鈴木、宮沢、島田、内山、津留崎、高橋、安東
  中列     安藤 
  前列    伊藤、シゲ、口元、 シゲの妹・かづ江     
 

同期+鈴木辰之+早大グリーOB
 

益田から送られた「武士道」を手に