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2024

訃報:宿沢広朗氏S48卒

 昭和48年卒 宿沢広朗氏におかれましては、平成18年6月17日(土)に心筋梗塞の為、急逝されました(享年55歳)。ここに謹んでお知らせ申し上げます。

通夜・告別式は下記の通りです。
 
場所:築地本願寺 本堂  東京都中央区築地3-15-1 ℡ 03-3541-1131

通夜 :平成18年6月21日(水)19:00~

告別式:平成18年6月22日(木)11:00~13:00
 
※ ご遺族のご意向により、供花・香典等ご辞退させていただくとの事。



「何事にも、ひたむきにぶつかる宿沢君の早稲田での4年間、そして社会にでてからの30年間の活躍は実に見事だった。これからという時の悲報は言葉もない。心よりご冥福をお祈りする」<早大ROB倶楽部会長・矢部達三>


「今回の悲報を耳にしたとき、大変なショックを受け、言葉を失いました。宿沢さんはワセダの偉大なOBであったのと同時に、日本のラグビー界に偉大な貢献をされた方です。ワセダの先輩としてだけでなく、ラガーマンの先輩を失ってしまったことに大変なショックを受けております。監督就任し学生たちの指導に当たるにようになってからというもの、宿沢さんの指導を思い出すことが多々ありました。私が大学2年生のとき、初めてAチームに上げてくれたのが当時の宿沢監督でした。連続してプレーできていたのは中竹だけだと、試合後褒めてくださったことを今でも鮮明に覚えております。その言葉は私にとって何物にも変え難い大きなものでした。宿沢さんは、知的、理論派として語られていますが、何よりもラグビーに対する気持ち、姿勢に拘ってきた情熱家でもありました。理論も大切にされながらも、ラグビーに取り組む姿勢、ラガーマンとしての大原則を最も大切にされていました。W杯で日本に初めての勝利をもたらした際には、一人でスカウトのためアフリカに飛ばれ、スコットランドからの歴史的勝利の際にも、絶対に勝てるとの自信に裏づけされた準備をし、偉業を達成されました。宿沢さんはワセダだけではなく、日本ラグビー界の財産。それだけに、今回の悲報は本当にショックでした。先の早慶戦で破れた際には、ラガーマンとしての大原則、宿沢さんの教えてを改めて思い出しておりました。今年掲げました『スウィフトラグビー』と言うのも、宿沢さんの教えから頂いたものです。25日の関東学院大戦では黙祷をお捧げし、試合に臨みます。関東学院大戦は私にとりまして恩返しの場です。謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」<早大ラグビー蹴球部監督・中竹竜二>


「突然の悲報に接し、ただただ驚き本当に悲しむばかりです。宿沢さんは大変情熱のある、ワセダが誇るべきOBで、イメージしたことをすぐさま実行に移すリーダーとしてお手本のような方でした。今でも思い出すのは、W杯前に行ったジンバブエへの遠征のことです。宿沢さんが団長、私が選手という関係で、W杯で対戦する相手の情報を集めるために、日本A代表として同地へ遠征しました。当時は現在と違い、情報がまったくない時代です。W杯本番で歴史的勝利を掴むことができたのも、この遠征があったからでした。思い立ったらすぐに行動に移す、その情熱はリーダーとして学ぶべきものでした。日本代表ジャージーの変更、スポンサー制度の導入等、すべて宿沢さんだからこそ実現できたものです。私が監督になり、厳しい意見も多かった中、色々と支援してくださったのも宿沢さんでした。東伏見さよならイベント、ワセダクラブの設立、いつも私のことを心配してくださり、その度にアドバイスしてくださいました。東伏見さよならイベントでの記念碑除幕式で、奥様とともに記念写真を撮らせて頂いたことは、今でもよく覚えております。何でも相談に乗ってくださる、本当に頼りになる先輩でした。大胆さと慎重さを併せ持った私の目標とする人でもありました。東京に戻られてからはまた色々と意見して頂きたいと思っていただけに、本当に残念でなりません。謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」<早大ラグビー蹴球部前監督・現サントリーサンゴリアス監督・清宮克幸>